2011年09月12日
近江米、そろそろ収穫
先日、お友達を訪ねて、彦根まで、足を運びました。
ランチに出かけようと、車を走らせていたら、きれいな初秋の青空と、収穫直前の田んぼを目にし、ちょっと車を止めて、パチリ。

少し先の田んぼでは、もうコンバインで、稲刈り真っ只中でした。
今年のお米は、安全性が一番求められるんでしょうね。

我が家は、とうとう完全無農薬に取組み、雑草に泣かされながらも、
来月10日頃には収穫予定です。
すでに、稲の花が咲き、順調に育ってくれることを祈るのみです。
日本人は、どこまで行っても狩猟民族にはなれません。
特に、農業をやってみると、田んぼに引く水の確保のために、水路の掃除など、地域で助け合い、手が足りなかったら、それに気付いた
誰かが、手伝いに行く。
本来、それが当たり前に出来る国民性なのです。
自然の恵みや人との繋がり、地域の連携なしに、国家は存続
しえません。
なぜなら、国家は小さな自治体の集合体ですから。
今一度、一人ひとりが、生かされていることを感謝し、今までの日本人が大切にしてきた家族の和や自分が何が出来るかを考えて社会参加することが求められているような気がします。
ランチに出かけようと、車を走らせていたら、きれいな初秋の青空と、収穫直前の田んぼを目にし、ちょっと車を止めて、パチリ。
少し先の田んぼでは、もうコンバインで、稲刈り真っ只中でした。
今年のお米は、安全性が一番求められるんでしょうね。
我が家は、とうとう完全無農薬に取組み、雑草に泣かされながらも、
来月10日頃には収穫予定です。
すでに、稲の花が咲き、順調に育ってくれることを祈るのみです。
日本人は、どこまで行っても狩猟民族にはなれません。
特に、農業をやってみると、田んぼに引く水の確保のために、水路の掃除など、地域で助け合い、手が足りなかったら、それに気付いた
誰かが、手伝いに行く。
本来、それが当たり前に出来る国民性なのです。
自然の恵みや人との繋がり、地域の連携なしに、国家は存続
しえません。
なぜなら、国家は小さな自治体の集合体ですから。
今一度、一人ひとりが、生かされていることを感謝し、今までの日本人が大切にしてきた家族の和や自分が何が出来るかを考えて社会参加することが求められているような気がします。
Posted by reina at
19:38
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